引き続き、日本コロンビアからの「オペラ・クレスタ」シリーズ第2段から、注目タイトルを紹介したい。
まず、「オペラ王」であるヴェルディの「オテロ」。イスラム教徒でありながらヴェネチア(イタリア)の提督となったオテロが、部下の裏切りに遭い、ありもしない妻の浮気を疑いながら破滅していく。原作はシェークスピアであり、非常にスリリングな心理劇となっている。オテロに加え、彼を破滅に追い込む悪役・イヤーゴの出来が左右するオペラだ。通常、オテロ役は年季を重ねた大ベテランが演じることが多いが、本作では、当時40歳代のホセ・クーラ(アルゼンチン出身)が挑んでいる。やや出来・不出来の幅のある歌手だが、朗々とした歌いっぷりは誠にすばらしい。
注目の場面は、荒れ狂う海を表現した第1幕冒頭と、イヤーゴが自身の「悪」の感情を吐露する場面(第2幕)だ。
もう一つ、モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」を紹介したい。タイトルの意味は「女はすべてこうしたもの」という意味。
軍人のグリエルモとフェルランドは、姉妹のフィオルディリージ、ドラべッラと、それぞれ愛し合っている。男性2人は「恋人は自分を裏切るはずはない」と信じているが、哲学者のドン・アルフォンソが姉妹のメイドであるデスピーナと共謀、グリエルモ、フェルランドを戦地に出征したと見せかけ、別人に変装させ、互いの恋人に求愛させる。最初は、恋人(グリエルモとフェルランド)との誓いを守って拒否していた2人だが、ついに「陥落」。結婚式を挙げようとするところに、「グリエルモとフェルランドが戻ってきた」とのウワサが……。
要するに、「女の約束などあてにならない」ということを言いたいオペラだ。きまじめなベートーヴェンは、モーツァルトを尊敬しつつも、この「不道徳さ」が許せなかったとか。ということで、20世紀になってから見直されたオペラ。
とくに、男女、女性と女性、男性と男性の重唱の美しさは比類のないものだ。また、デスピーナの「女も15歳になれば」は、現代の曲としても十分に通用するコケティッシュな曲。この曲が、キリスト教の影響が強い18世紀に発表されたことは、驚き以外の何ものでもない。本作では、歌唱はもちろん、ルックス的にも、男女2組とも及第点だ。
ちょっとした変装で女性がダマされることに違和感を感じる向きもあると思うが、変奏すれば見抜かれないというのは、オペラでは「暗黙の了解」だ。もっとも、モーツァルトなら、知った上で「ダマされたフリをする」歌ぐらい、平気で作曲してしまうのだろうが。
このあたりは演出家の実力を見る楽しみなのだが、それはまた次回に。
最終更新日
2012年01月18日 16時16分16秒